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        「子に尽くした実感」
              里親G


 「もう無理……」。妻はそう言って、涙を流した。
 我が家が一人目の里子を迎えたのは五年前の夏。一年後にその子の姉、そして昨年秋、三人目の里子が来た。今年七歳、十七歳、五歳になる女の子三人だ。私たち夫婦には、その子たちとは別に三人の実子がいる。
 今年から長男が勤めだした。二男が高校生、三男は中学生。我が子も里子も分け隔てなく育てなければならないと意識するあまり、余計なプレッシャーとストレスが妻を追い込んでしまったようだ。

 里子を迎える以前、私共は家族を与えて頂き、それなりに生活を送っていたが、そんな折、「極道よ、火中の栗を拾え」の一文に私は強い衝撃を受けた。
 早速、児童相談所を訪ねて手続きをした。審査は厳しかったが、人助けをしたいという熱意を児相が後押ししてくれ、その年十一月に里親認定を頂いた。

 当時の様子を振り返ってみたい。
『六月六日、家族が一人増えた。Nちゃんという二歳になる女の子だ。男三兄弟に妹ができて、優しいお父さん、お母さん、お兄さんに皆が変身。
 久々の育児に二人がかりでおむつ交換。突然、孫の子守を押しつけられた爺様婆様のように思えて可笑しくなった。Nちゃんはまだ立ち歩きができず、知育はゆっくり目のようだ。
 我が身、我が家の事ばかりに囚われて過ごしてきた。改めて夫婦で話し合い、子供たちの理解を求め、児童相談所の後押しを頂いて、知事より里親登録の認可を得た。甘くない現実が予想されるが、毎日の着実な積み重ねで乗り越えたい』。
 胸を膨らませて始めた里親だったが、里子の問題もさることながら、奥深くに潜んでいた癖性分に、私も妻もこれ程悩まされるとは思わなかった。
 妻の手記『六月、初めての里子がやってきました。Nちゃんは二歳ですが歩けず、話せません。人を見るとニコニコして愛想は良いのですが、意思を表現する手段は茶碗をひっくり返すのと泣くだけです。どうあやしても泣き叫び、予想もつかない態度をとるのです。
 Nちゃんの心が理解できず、というよりは私の思い通りにならず、静かな涙を何回かこぼしました。「やって来た日が生まれた日」。信頼関係を大事にしていこうと、主人とは何度も話し合いを重ねました。
 この頃、やっと落ち着いて過ごせるようになりました。今、Nちゃんの成長はゆっくりですが「ちょうだい」「どうも」「ばいばい」と、それらしく声を出すようになり、足の筋力も少しずつ強くなってきました。歩ける日を楽しみにしています。この広い世界で私たち夫婦の里子となったNちゃんは、前生の恩人なのかもしれません』。
 それぞれに座席が決まっていた家族の中に新人が加われば、新たなスペースが必要となる。たてまえは譲り合いと助け合いだが、これまでの親子関係や夫婦関係に微妙なズレが生じ、それが癖性分を増幅させて、大声を出す日も度々あった。
 妻の手記
『里親一年生の私たち夫婦ですが、結婚歴はお陰様で十八年目です。私はこの一年間、Nちゃんの世話が思い通りにならず、涙をこぼしたこともありましたが、今では神様から問題を出される度に夫婦間の話し合いが出来たことを、一番有難く嬉しく思います。
 話し合いを重ねるごとに、私の存在が必要とされていることが確認できて安心しました。Nちゃんが来なければ、単に結婚年数を重ねていただけかもしれません。心が落ち着いてきて、Nちゃんも生活に慣れてくれたように思います。
 そのような一年目を過ごして、二年目の七月十八日、Nちゃんの姉であるY子ちゃんが教会家族となりました。神様が私たちの里親ぶりを認めて下さったのでしょうか。また増えて有難いです。お母さんはきっとやせるかも…』。

 この五年間は私たち家族、いや私たち夫婦にとって嵐の中の五年間とも言えよう。今なお季節風や偏西風で揺れることもあるが、その度に夫婦の器を広げて頂いているように感じる。
 今は三人目の里子、S子ちゃん(五才)が加わり、保育園から高校まで一人ずつ揃った。朝、S子ちゃんとY子ちゃんは私が車で、集団登校が難しいNちゃんは妻が付き添って、息子だけは独りで出かける。実に忙しい。
 火中の栗で私たち夫婦は火傷も味わったが、そのお陰で夫婦は話し合いを深め重ねて、同じ方向を向いて歩み出すことが出来た。それが有難い。
 そして、確実に人のために尽くしている実感の中に身をおけることを嬉しく思う。